プルーヴェの名作を生んだ「大学都市」。
ヴィトラのプロダクト「Cité / シテ」や「Guéridon / ゲリドン」、「Trapèze / トラペーゼ」は、プルーヴェの大学建設プロジェクトから生まれたもの。なぜプルーヴェは、多数の計画に関わっていたのでしょう?
フランスの大学制度の歴史は古く、1200年まで遡ることができると言われています。しかし、近代に至るまではすべての国民に門戸が開かれていたわけではなく、特権階級を中心とした一部の限られた人だけの高等教育機関でした。
20世紀に入り、産業・経済活動の安定とともに、民主化が進み、庶民の進学率が上昇。19世紀初頭の大学進学資格者は数十人ほどの狭き門だったのに対し、1900年代には5000名、1931年には1.5万人、1946年には3万人近くになるなど、急速な勢いで増加していきました。こうした新たな社会階級の誕生とともに問題となったのが、入学者の宿舎です。
地方から都市部に移住してきた学生たちを受け入れるために、はじめてフランスに学生向けの住居が建設されたのは、第一次世界大戦後すぐのこと。1930年代に入ると、フランス人民戦線の政治家で教育大臣を務めたジャン・ゼが中心となり、アルソー、モンペリエ、ナンシーなどに学生寮の建設が始まります。
これらの学生向け住宅は、できるだけ多くの学生たちの受け入れを可能にした一方で、居室は10㎡程度と狭小なものばかり。そのため、いかに最小限のスペースで快適に過ごすことができるかが最大の課題でした。また、膨大なニーズがありながらも、戦後間もない時代の公的なプロジェクトであったため、予算も限られていたと考えられます。
そこで白羽の矢がたったのが、ジャン・プルーヴェだったのです。戦後復興住宅を多数手がけた実績を耳にした関係者から、彼のもとに大学都市建設のためのプロジェクトが次々と舞い込みます。1930年ナンシーのマンボワに完成した学生寮の70部屋のために、ラウンジチェア「Cité / シテ」や照明「Lampe de Bureau / ランプ ド ビューロ」をはじめ、デスクやベッド、収納棚を設計。特徴的なトライポッドの脚のテーブル「Guéridon / ゲリドン」は、1949年にパリの大学に納入します。そして、1955年に完成した2500名収容と大規模なジャン・ゼ学生住宅では、「Antony / アントニー」や「Trapèze / トラペーゼ」を手がけました。
新たな強い時代を切り拓き、フランスの未来をになっていく学生たちに、少しでも心地よい空間のなかでリラックスしながら、豊かに過ごしてほしい。歴史的なデザインアイコンの背景には、そんな純粋なプルーヴェの気持ちもあったのではないでしょうか。
Cité / シテ
パウダーコーティングされたスチール製のフレームに革のベルトを渡した肘掛けのゆったりとしたラウンジチェアは、プルーヴェ自身も自宅のリビングで愛用していた初期の名作です。
ナンシーの大学都市、学生寮のホールのためにデザインされた小型のデスクランプは、一枚のスチール板を湾曲させ形作ったパネルが光を柔らかに拡散し、手元をやさしく照らします。
パリの大学施設のためにデザインされた、コンパス状の脚が特徴的なテーブル。すっきりとしたコンパクトなサイズ感で、ホームオフィスなど現代の暮らしや環境にも自然に馴染みます。同じデザインのローテブーブル「Guéridon Bas / ゲリドン バス」も揃います。
パリ郊外の街、アントニーにある大学都市のためにデザインしたテーブル。Trapèze とはフランス語で「台形」を意味する言葉です。
Publication date: 10.2022
Author: Hisashi Ikai
Title & Illustraion:Bob Foundation
Images:
2022, ProLitteris, Zurich, Photo: Dejan Jovanovic, Vitra
ヴィトラとジャン・プルーヴェ
1980年代にヴィトラの現・名誉会長ロルフ・フェルバウムは、一脚の「アントニー」に出会ったことからプルーヴェ作品の蒐集と研究を始めました。1950年創業のスイスの家具メーカーであるヴィトラは、1999年にプルーヴェファミリーとの話し合いを経て、全プルーヴェ製品の復刻と製造販売権を獲得、2002年ヴィトラからジャン・プルーヴェ製品が初めて発売されました。この製品コレクションはバリエーションや製品を追加しながら継続しています。また、ヴィトラデザインミュージアムは、現在、世界最大級のジャン・プルーヴェのヴィンテージコレクションを有しています。