ジャン・プルーヴェは誰?

20世紀の建築とデザインに大きな影響を及ぼしたジャン・プルーヴェが、いまもなお注目を集める理由とは。改めてその人物像に迫ります。

ジャン・プルーヴェが生まれたのは、1901年のフランス。当時全盛を極めていたアール・ヌーヴォーを代表するナンシー派画家の父の傍らで時間を過ごしているうちに、自然と自らの手を動かして創作を探求する姿勢や、芸術と産業のはざまを行き来しながら時代を前へと進める感覚を養っていきました。

そんなプルーヴェの最初のキャリアはデザイナーでも、建築家でもなく、鍛冶工からスタートします。15歳で鋳鉄職人としての修行をスタート。門扉や柵、手すりといった建築の付帯設備を手掛けながら、デザインと建築を独学で習得していきます。

23歳で初となる自身の工房を開くと、活動領域も一気に拡大。ペーパーナイフやドアノブといったプロダクトから、家具、照明、窓枠、プレハブ住宅に至るまで、我々の身の回りのありとあらゆるものを手がけていきます。

多くの作品を現代に伝えるプルーヴェですが、自身のことをデザイナーや建築家を称したことはなく、あくまでも「Constructeur(建設家)」という立場を意識していました。また、工場で働く人々を「Companion(仲間)」と呼び、上下の関係なく平等に扱い、自身もその職工の一人であると考えていたそうです。これは、彼が見た目よりも構造を第一に、そこに至る工程(エンジニアリング)を大切にしていた証と言えるでしょう。

素材と加工技術の組み合わせ次第で、モノの機能性はいかようにも変化します。工業化の波が押し寄せる時代において、合理的なものづくりを行いながらも、人々の暮らしを快適に、かつ豊かに彩る存在を作り出せるか。そんなことを考えながら、プルーヴェは生涯に渡り実験を繰り返し、新しいアイデアを創出していきました。

革新的な取り組みだけが、プルーヴェの偉業ではありません。彼は、建築やデザインを、ある限られた特別な人々のものではなく、広く一般が享受できる形にするための努力も惜しみませんでした。第二次世界大戦中にフランス軍用に持ち運び可能な兵舎を設計。後には、戦火で家を失った人々や、住む場所がない難民のために少人数で解体・移築が簡単にできる仮設住宅をいくつも手がけます。

また、戦中はレジスタンス運動に参加し、1944年にはナンシー市長に選任されるほど、周囲からも慕われ、頼りにされていました。何よりも人々の平穏な生活を大切に考え、できる限りの役割を果たそうとしていたプルーヴェの責任感の高さを象徴しています。

暮らしの根本的なニーズを細かに読み解きながら、身近にある可能性を探り、その都度適切な答えを導き出したプルーヴェのデザイン哲学は、まさに現代の多様性や環境負荷に配慮したSDG’sの思想に直結するもの。時代を先導する責任を明確に感じながら活動していたからこそ、いつの時代もプルーヴェの存在は大きく、潔く感じられるのでしょう。

Publication date: 9.2022
Author: Hisashi Ikai
Title & Illustraion:Bob Foundation
Images:
© Fonds Jean Prouvé at the Archives départementales de Meurthe-et-Moselle
© Centre Pompidou, Mnam, Bibliothèque Kandinsky, Fonds Jean Prouvé

 

ヴィトラとジャン・プルーヴェ

1980年代にヴィトラの現名誉会長ロルフ・フェルバウムは、一脚の「アントニー」に出会ったことからプルーヴェ作品の蒐集と研究を始めました。1950年創業のスイスの家具メーカーであるヴィトラは、1999年にプルーヴェファミリーとの話し合いを経て、全プルーヴェ製品の復刻と製造販売権を獲得、2002年ヴィトラからジャン・プルーヴェ製品が初めて発売されました。この製品コレクションはバリエーションや製品を追加しながら継続しています。また、ヴィトラデザインミュージアムは、現在、世界最大級のジャン・プルーヴェのヴィンテージコレクションを有しています。