素材不足から生まれた革新性

ジャン・プルーヴェは、自らの手を動かすことこそデザインの過程にとって最も重要であると信じていました。金属・金工職人の訓練を受けた彼は、原材料となる金属、無垢材、合板の長所と短所、その扱い方について熟知していました。

娘のカトリーヌ・プルーヴェはこう語ります。


「新しい製品を開発するとき、父は下書きを描くとすぐに工房の製造機の前へと移動し、試作品作りに取り掛かっていました。父のデザインのすべては工房であったアトリエジャン・プルーヴェで開発、製造されていました。同日の夕方には、もう最初のスケッチを捨て、工房の仲間とともに一連の試作品の中から完成形を見出し、生産上必要な実測図面を作成を始めていました。現在、父のオリジナルスケッチがほとんど残っていないのには、こういった理由があったのです。」

「シェーズ トゥ ボワ」の開発プロセスも同様でした。金属が不足していた第二次世界大戦中、ジャン・プルーヴェはそれに代わる解決策として世界中のどこでも調達可能な木材を用いて、この椅子を完成させました。

Chaise Tout Bois=オールウッドチェアというフランス語の名前の通り、彼は木材のみを用いて椅子を完成させました。彼のキャリアの中で唯一の全木製チェアであるこの椅子は、金属と木材を用いた彼の代表作である「スタンダード」と同様に、後部フレームと座面が結合する点にかかる最大の負荷重量を、後脚を兼ねた頑丈なフレームが補強し全体を支えるという極めて合理的な考えに基づいています。そのため、最大荷重点にあたる部分を必然的に太くすることで、まるで飛行機の翼のようなフォルムが生まれました。プロダクトや建築構造にも繰り返し使われたジャン・プルーヴェ独自の考え方と特徴的なデザインです。

ジャン・プルーヴェは強度、接合部、脚の位置や座面と背もたれの角度などのテストを幾度も重ね、戦時中にいくつかのプロトタイプを作りました。

彼は、戦争が続く限りは「緊急事態の中での製造する椅子」と割り切り、1945年に戦争が終わり、木材の十分な供給が整った段階で、シェーズトゥボワの量産にオーク材を使うことに決めました。フランスでは、船や大聖堂の屋根などにオーク材が使われることが多く、椅子の材料としての硬さと強度は申し分ありません。また、個別の要望に応え、ダークステイン仕上げの椅子も製造されました。
1947 年、プルーヴェはMeubles de Franceというコンペティションにシェーズトゥボワを出品し、大賞を受賞しました。テーマは、戦後社会の需要に合わせ、住まいに困る人たちや若くして家をもつ夫婦にとって魅力的で、かつ高品質、大量生産可能な家具、というものでした。

その後、シェーズトゥボワは木材とスチールを組み合わせた組み立て式モデルへの改良を経て、NO.305というモデルへと進化を果たしました。この椅子こそ、ジャン・プルーヴェの代表作として知られる「スタンダード」です。
ヴィトラから初めて復刻を果たしたシェーズトゥボワは、ネジを使わない1941 年のデザインに忠実に再現されていますが、大きさや座面の高さは現代の暮らしに合わせて調節されています。自然素材である木材を用いている点だけでなく、状況に合わせた創意工夫という点においても、現代に蘇るに相応しい一脚です。

Publication date:
 16.7.2020
Author: Stine Liv Buur with Catherine Prouvé
Images: 1. Agence Photographique de la Réunion des musées nationaux / © RMN and ProLitteris: Jean Prouvé’s home in Nancy, built in 1954. View of the living room with a version of the Chaise Tout Bois around the dining table. Photo from 1955; 2 Ateliers Jean Prouvé, chaise bois. Arch. dép. de Meurthe-et-Moselle, 23 J 187/4. © [ADAGP] with permission from Catherine Prouvé; 3. © Fonds Perret: Headquarter Centre d'études nucléaires du Commissariat à l’énergie atomique; 4. Lorenz Cugini; 5. Marc Eggimann